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personal note of yusuke takada
2013年2月5日火曜日
superbowlとテレビ。次は?
何かしないといけないときほど、他のことがしたくなる。
世の中なんでも相対的だと思いながら、ブログを書いてる。
(つまり他にしないといけないことを放置している)
今日はかの有名なアメリカの国民的祝日(?)であるsuper bowl sundayだった。
今調べたけど、20年以上視聴率40%超えを記録してるらしい。(すげ。。。)
さすがに仕事中で見ることはできなかったが、
見逃した人はハイライトを下記のURLから見ることができる。
http://www.nfl.com/videos/nfl-game-highlights/0ap2000000135690/Super-Bowl-XLVII-Ravens-vs-49ers-highlights
(ちなみに見事にyoutubeで見ようとしても全然試合は出てこない。相当数アップの試みがあるはずだが、全部駆除されてるっぽい。)
スポーツとしての面白さとは別に、見て分かる通り、
アメフトはcommercialismのためにある様なスポーツである。
TVの方が見やすいし、プレイ毎に途切れるためCMが入れやすい。
superbowlのCMが有名なのも象徴的だ。
なぜそうなったのか?
スポーツはまぎれもなく至高のコンテンツだが、このコンテンツ作成や成長には莫大な資金が必要となる。
それはとても来乗客とホットドックを売るだけでは賄えず、
それ以外の収入源を確保することが重要となった。
そこでメディアでの収入に目を向ける。
ラジオとテレビが主な配信メディアになるが、ラジオとテレビの収入は当然CMである。
来場者ではなく広告主が最重要顧客になったとき、
テレビに適したコンテンツに資金が集まり、結果伸びた、と考えられる。
テレビに適したコンテンツとは当然CMを入れやすいコンテンツである。
すなわち、プレイ毎に止まってCMを入れれること。
プレイの間にいやらしく入れれる方が当然広告主は嬉しいため、
それが適したアメフトや野球が資金を集め、コンテンツとしても伸びた。
実際アメリカで最も人気のあるスポーツは34%でアメフトであり、
次点が16%支持率の野球である。
http://www.harrisinteractive.com/NewsRoom/HarrisPolls/tabid/447/ctl/ReadCustom%20Default/mid/1508/ArticleId/1136/Default.aspx
#ちなみにNFLは実際にcommercial breakというものが義務づけられており、
TVだと気付かないが、スタジアムにいるとプレイがやたら長く止まることがある。
と、ここまではよくある話(といっても専門家ではないためあくまでざっくりした推測だが)
だけど、問題はラジオはもちろん、TVも過去のメディアと化して来ているということだ。
そして当然その代わりに台頭してきているのがソーシャルメディアである。
仮にメディアと広告とスポーツコンテンツの人気度に強い関係性があったとして、
もしもソーシャルメディアの広告がより一層確立されたとき、
人気スポーツとして何が表れてくるのだろうか?
アメフトや野球よりも違うスポーツの方が盛り上がるかもしれない。
正直点がいっぱい入るスポーツよりもソーシャルメディアは、
一発でかいゴールが入る方が盛り上がる気がする。
TLがゴール!!で埋まる光景はやはり気持ちが昂る。
じゃサッカーか?
もしかしたらホッケーのペナルティボックスでツイートできる様になるかもしれない。
自分なら絶対そんなツイート見てしまう。
とすると選手にブレイクが発生しやすいスポーツが人気を増すかもしれない。
それか戦略性の高いスポーツで次に打つべき手を議論しやすいスポーツかもしれない。
ustreamとかyoutubeがポジションを奪いやすいと考えると、
少なくとも広告は、最初に流れる映像や横に出ている画像がメインになるわけで、
CMを入れやすいって優位性はなくなるんだろう。
まだ広告モデルが確立されていない分、どうなるか分からないけど、
逆にそれを確立できるスポーツが次の流行スポーツになるんだろうな。
何はともあれ、アメフトはでも面白いから、見たことない人はぜひ〜
さて、風呂はってこよ。
2013年1月9日水曜日
意図してクオリティを下げるということ
海外系の仕事をさせてもらう様になってしばらく経つが、
意図してクオリティを下げるということへの挑戦が重要と感じている。
なんだかんだいって、日本人の仕事は総じてクオリティが高い。
ー品質は高く、トラブルも少ない
ー資料も読みやすいし、構造化されて情報が漏れなく提供される
ー真面目で曖昧な要求にもしっかり対応しようと努める
クオリティが高いということは、同じアウトプットを、いつでも誰でもどんなプロジェクトでも出せる、ということ。
これは大きな強みだし、信頼性が高いから、日本顧客の高いニーズにも応えられる。
だが、それだけではやっていけない。
何故やっていけないかというのはシンプルで、国内だけがマーケットではないからだ。
海外に出て行った瞬間、広い世界に適合していかなければならない。
となると国内マーケットの振れ幅とは桁違いの幅に対応しなければならない。
課題は主に二つ。
・同品質では価格が高い
・同品質ではオーバースペック
品質を下げることは難しくなさそうなのだが、
生活水準を下げることが難しい様に、一度慣れてしまうと下げることは怖く感じる。
よって品質を下げるためには非常に大きな勇気がいる。
メーカーなら商品ラインアップを増やすだろう。
でもサービスはまた違う。人を目の前にして下げるということは、一層不安になる。
それに一人が落としても意味がなく、全体として落とす必要がある。
これを実現するためにはリーダーの勇気と小さな成功体験を共有してくことが重要だ。
加えて、落とし方も重要だ。結局動かなくては意味がない。
動くけどたまにバグる。バグってもバグり方が気にならない程度ならば、問題ない。
この問題ない範囲で手を抜く必要がある。
現地とコミュニケーションを取りながら当然取組むのだが、
彼らは自分達の標準で開発をするため、クオリティを落としているつもりはない。
ここに見えない溝があり、これを模索するのが難しい。
結構密にコミュニケーションを取りながらではないと溝を発見できず、
不安に追われてオーバースペック、オーバークオリティに創りあげてしまう。
結局コミュニケーションをどれだけ取れるかが重要になる。
だからグローバルプロジェクトには強いリーダーとハブとなるコーディネーター/ファシリが必要。
特に後者は認知がすごい低いと思う。
もっとコーディネーターの導入によるコミュニケーション複雑性の削減重要性を訴えていかないと。
あ〜久しぶりにブログ書いた。
2011年8月10日水曜日
singapore national holiday ~シンガポール独立記念日~
今日はシンガポール独立記念日ってことで、仕事を一旦切り上げて、カメラ片手に街中へ。とりあえず、人の流れに沿って適当にぶらぶら。iphoneとか持ってないと行先がわからない分、流れに身を任せることになる。それがまたいいんだけど。
結局なんとか花火を見ることはできたけど、ショーみたいなのは遠目にしか見れなかったな。そしてみんな赤と白の紅白ウェアを着てた。(シンガポールの国旗の色は赤と白)でもやっぱ赤が目立つから、なんか一瞬デモみたいに見える。昔タイに学会に行ったとき、大きなデモがあって、みんな赤い服着てたからその記憶のせいかな。
あとスタッフが、majulahって書いてるTシャツを着てたんだけど、それが発音的に自分にはモジュラ⇒モジラ⇒mozillaにしか思えなくて、なんやねんと思ってたけど、どうやら国歌のことらしい。たぶんfirefoxのこと考えてたのは、あの人ゴミの中でも俺だけだろう。
なにはともあれ、Happy National Holiday!!
結局なんとか花火を見ることはできたけど、ショーみたいなのは遠目にしか見れなかったな。そしてみんな赤と白の紅白ウェアを着てた。(シンガポールの国旗の色は赤と白)でもやっぱ赤が目立つから、なんか一瞬デモみたいに見える。昔タイに学会に行ったとき、大きなデモがあって、みんな赤い服着てたからその記憶のせいかな。
あとスタッフが、majulahって書いてるTシャツを着てたんだけど、それが発音的に自分にはモジュラ⇒モジラ⇒mozillaにしか思えなくて、なんやねんと思ってたけど、どうやら国歌のことらしい。たぶんfirefoxのこと考えてたのは、あの人ゴミの中でも俺だけだろう。
なにはともあれ、Happy National Holiday!!
2011年7月16日土曜日
「ま、いっか」文化
最近日本は、「ま、いっか」という文化を持っているんだな、と思う様になってきた。
全力で歯向かうのではなく、ひとまず受け入れてしまう。
そしてそれを当たり前の様にしてしまう。
日本みたいに自然災害が豊富で、もう人には為す術がなくなるとこうなってしまうのかな。
ひとつのあるべき姿を崩さず、これが正しいんだ!!という欧米や中国に見える性格は国としては持っていない。
これはこれで好きなんだけど、この点だけ日本は周りの人(世界の国々)が主張するタイプでも、
「あ、周りが主張してるから俺もしないと汗」ってならないよね。
なんでだろ?
ま、いっか。
全力で歯向かうのではなく、ひとまず受け入れてしまう。
そしてそれを当たり前の様にしてしまう。
日本みたいに自然災害が豊富で、もう人には為す術がなくなるとこうなってしまうのかな。
ひとつのあるべき姿を崩さず、これが正しいんだ!!という欧米や中国に見える性格は国としては持っていない。
これはこれで好きなんだけど、この点だけ日本は周りの人(世界の国々)が主張するタイプでも、
「あ、周りが主張してるから俺もしないと汗」ってならないよね。
なんでだろ?
ま、いっか。
2011年7月4日月曜日
素晴らしいCM
自分はCMが大好きで、普段テレビを見る時は、
必ずCMも含めてみる。
だが、結局最近はテレビ自体みないので、疎遠になっていた。
そしたらこんなCMがあるではないか??!!
こういうのは超好き。
ドコモ、森の木琴
見た瞬間、やられた!!って思うのは良いアイデアの証拠ですよね。
あとJR西日本の九州新幹線。
これも広告なのに、見ていてすごく気分が良くなるCM。
必ずCMも含めてみる。
だが、結局最近はテレビ自体みないので、疎遠になっていた。
そしたらこんなCMがあるではないか??!!
こういうのは超好き。
ドコモ、森の木琴
見た瞬間、やられた!!って思うのは良いアイデアの証拠ですよね。
あとJR西日本の九州新幹線。
これも広告なのに、見ていてすごく気分が良くなるCM。
2011年6月25日土曜日
無我夢中で働くということでしか、道は開けないんだからもっと働くべき
もうあたり前ではあるんだけど、改めて思うのは、
無我夢中に働かずして、道を切り開くことはできないということ。
自分が好きなセリフのひとつ、かつきわめて本質的だと思う。
結局何かを成すためには、まずそれに見合った努力をすること。
だが、同時に80、90年代に比べて、
仕事面において、それが難しいのではないかと思っている。
なぜならば、長時間労働ができなくなってしまったからだ。
多くの企業、特に日系大企業にて見受けられるが、
ワークライフバランスや精神的ダメージを懸念するばかりか、
長時間労働はタブーとされ、働こうとすると拒否される。
(景気悪化による残業代が払えないこともあると思われる)
別に長時間労働を推奨するつもりはない。
だが、正直いっぱい働くことによって得られる経験は極めて捨て難い。
仕事も筋肉同様、多少無理をしてこそ、成長できるのだから、
無理をする機会を強制破棄するのは、競争力低下に当然つながると思う。
このことを理解し出している人は案外多いと感じている。
だが、多くの人はそこで悩むところで止まる人が多い。
そして次に多いと感じるのが、資格に走る人。
当然資格を取ることや勉強をすることは超有効手段だ。
だが、結局仕事に活かせないなら、それは意味がない。
結局勉強は所詮勉強であって、実践には勝てない。
いくらサッカーの本を読み倒しても、プロにはなれないんだから。
外資やベンチャーにいる人がデキると評価されることは多いが、
正直ガチ日系に勤める自分が能力で劣っていると感じたことはそれほど無い。
逆に彼らは欠点が多いと感じることすら多々ある。
だが、そんなの関係なく時間を費やし押し切るという選択肢を持っており、
それを実践し貫き通す強さを持っている。
ここ三年間両方を見てきた自分としては、そこが一番の差だと思う。
自分は日系にいながら、張り合うためにボランティアに従事してきた。
仕事以外のプロジェクトに参加することによって、普通の倍働いてきた。
まだまだ未熟な分もっとやらねばと思っているが、
ボランティアをした分、自分は成長した、成長していると感じている。
やはり動いて考えて悩んで考えて動いてナンボの世界。
別に仕事じゃなくても他のプロジェクトでいい。
自分だけでもいいし、お金が絡まなくてもいい。
どういうかたちであれ、もっとみんな働くべきだ。
結局そうしないと成功はしないのだから。
無我夢中に働かずして、道を切り開くことはできないということ。
「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」でも同時に
鴨川源二 (はじめの一歩)
自分が好きなセリフのひとつ、かつきわめて本質的だと思う。
結局何かを成すためには、まずそれに見合った努力をすること。
だが、同時に80、90年代に比べて、
仕事面において、それが難しいのではないかと思っている。
なぜならば、長時間労働ができなくなってしまったからだ。
多くの企業、特に日系大企業にて見受けられるが、
ワークライフバランスや精神的ダメージを懸念するばかりか、
長時間労働はタブーとされ、働こうとすると拒否される。
(景気悪化による残業代が払えないこともあると思われる)
別に長時間労働を推奨するつもりはない。
だが、正直いっぱい働くことによって得られる経験は極めて捨て難い。
仕事も筋肉同様、多少無理をしてこそ、成長できるのだから、
無理をする機会を強制破棄するのは、競争力低下に当然つながると思う。
このことを理解し出している人は案外多いと感じている。
だが、多くの人はそこで悩むところで止まる人が多い。
そして次に多いと感じるのが、資格に走る人。
当然資格を取ることや勉強をすることは超有効手段だ。
だが、結局仕事に活かせないなら、それは意味がない。
結局勉強は所詮勉強であって、実践には勝てない。
いくらサッカーの本を読み倒しても、プロにはなれないんだから。
外資やベンチャーにいる人がデキると評価されることは多いが、
正直ガチ日系に勤める自分が能力で劣っていると感じたことはそれほど無い。
逆に彼らは欠点が多いと感じることすら多々ある。
だが、そんなの関係なく時間を費やし押し切るという選択肢を持っており、
それを実践し貫き通す強さを持っている。
ここ三年間両方を見てきた自分としては、そこが一番の差だと思う。
自分は日系にいながら、張り合うためにボランティアに従事してきた。
仕事以外のプロジェクトに参加することによって、普通の倍働いてきた。
まだまだ未熟な分もっとやらねばと思っているが、
ボランティアをした分、自分は成長した、成長していると感じている。
やはり動いて考えて悩んで考えて動いてナンボの世界。
別に仕事じゃなくても他のプロジェクトでいい。
自分だけでもいいし、お金が絡まなくてもいい。
どういうかたちであれ、もっとみんな働くべきだ。
結局そうしないと成功はしないのだから。
2011年5月3日火曜日
ビン・ラディンと選挙
オサマ・ビン・ラディンが殺害されたらしい。
逮捕とかじゃなくて殺害なのね。
死刑を行わない国が多い中、これについては何かメディアも議論しなさげ。
やっぱり圧倒的権力者(米)に歯向かうと殺されてもしょうがないムードなのかな。
何はともあれ、9.11は世界に衝撃を与えたし、
あれを境目に色んな仕組みが変わったのは間違いない。
だが、気になるのが、
結局ビン・ラディンって何だったのか?
米国にとって彼はテロのアイコンであり、悪の代表格だった。
まぁその他、様々な側面があるのは当然とした上で、
結果的に必要悪だった気がする。
いわば、アンパンマンに対するバイキンマン的な。
そしてアンパンマンは、当然米国大統領。
これが意図されてかされずかはもはや推測の域を出ないが、
ビン・ラディンは米国全国民にとって敵であり、
同時に大統領にとって最大のヒーローだったのではないか。
ビン・ラディンを倒す!と宣言したブッシュ。
そして10年もの月日を経て、実際に殺害に成功したオバマ。
共に大統領の支持率が低く、苦しい際に登場し、
ブッシュとオバマを救ったのは間違いない。
今アメリカの一部はテロが終わったと歓喜に浸っているが、
実際テロ撲滅という目的に対しては、
10年前の亡霊を倒すことに成功したものの、
結局ピラミッドではなくネットワークとして動くテロ組織対しては、
大した効果が得られてないのが現実だろう。
結局対テロという意味よりも、対大統領選挙という意味合いの方が、
ビン・ラディンは大きな効果を収めたのではないか?と素朴に思う。
アンパンマンがヒーローになるためには、
バイキンマンが必要。
米国大統領が支持率を上げる、選挙に勝つために、
ビン・ラディンが必要な様に(?)
日本だと誰だろね。
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