2011年6月25日土曜日

無我夢中で働くということでしか、道は開けないんだからもっと働くべき

もうあたり前ではあるんだけど、改めて思うのは、
無我夢中に働かずして、道を切り開くことはできないということ。

「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし、成功した者は皆すべからく努力しておる!!」
鴨川源二 (はじめの一歩)

でも同時に

自分が好きなセリフのひとつ、かつきわめて本質的だと思う。
結局何かを成すためには、まずそれに見合った努力をすること。

だが、同時に80、90年代に比べて、
仕事面において、それが難しいのではないかと思っている。
なぜならば、長時間労働ができなくなってしまったからだ。

多くの企業、特に日系大企業にて見受けられるが、
ワークライフバランスや精神的ダメージを懸念するばかりか、
長時間労働はタブーとされ、働こうとすると拒否される。
(景気悪化による残業代が払えないこともあると思われる)

別に長時間労働を推奨するつもりはない。
だが、正直いっぱい働くことによって得られる経験は極めて捨て難い。
仕事も筋肉同様、多少無理をしてこそ、成長できるのだから、
無理をする機会を強制破棄するのは、競争力低下に当然つながると思う。

このことを理解し出している人は案外多いと感じている。
だが、多くの人はそこで悩むところで止まる人が多い。
そして次に多いと感じるのが、資格に走る人。
当然資格を取ることや勉強をすることは超有効手段だ。

だが、結局仕事に活かせないなら、それは意味がない。
結局勉強は所詮勉強であって、実践には勝てない。
いくらサッカーの本を読み倒しても、プロにはなれないんだから。

外資やベンチャーにいる人がデキると評価されることは多いが、
正直ガチ日系に勤める自分が能力で劣っていると感じたことはそれほど無い。
逆に彼らは欠点が多いと感じることすら多々ある。
だが、そんなの関係なく時間を費やし押し切るという選択肢を持っており、
それを実践し貫き通す強さを持っている。
ここ三年間両方を見てきた自分としては、そこが一番の差だと思う。

自分は日系にいながら、張り合うためにボランティアに従事してきた。
仕事以外のプロジェクトに参加することによって、普通の倍働いてきた。
まだまだ未熟な分もっとやらねばと思っているが、
ボランティアをした分、自分は成長した、成長していると感じている。

やはり動いて考えて悩んで考えて動いてナンボの世界。
別に仕事じゃなくても他のプロジェクトでいい。
自分だけでもいいし、お金が絡まなくてもいい。
どういうかたちであれ、もっとみんな働くべきだ。
結局そうしないと成功はしないのだから。